2012年5月25日 (金)

芸人さん考

 昭和30年代、年の離れた末っ子の私は、母に連れられて卸し問屋さんの招待で道頓堀の角座、中座、梅田コマによく行った。生でミヤコ蝶々さんも間近で見た記憶も残っている。テレビでは二代目渋谷天外さんや藤山寛美さんが出ておられたし、大村崑さんや芦屋雁之助さんも未だ売り出し中の若手だった。子供の目には、ドラマのストリーは良く理解できなかったが、その軽妙な言い回しや演技は充分笑いを誘う「芸」だったし、その存在は日常性を離れた「芸人さんワールド」だった。私は、おそらくこの過程を通して、家内言うところの大阪人気質が形成されたと思う。藤山寛美さんは後に多額(庶民には天文学的数字)の借金問題を起こされたが、見事本業の「芸」で借金を返済された。死のギリギリまで「上方芸人」藤山寛美を全うされた。
 芸人さんは非日常の存在だからこそ、お金を払ってもその芸を見たり聞いたりするものと思う。今日のお笑いタレントさんの生活保護受給に対する謝罪会見のニュースを見ていて、あまりの日常の生活臭(誤解覚悟で言えばいじましさ)に少々うんざりした。大阪から芸人さんが消えて、タレントさんしか居なくなってきたと寂しい思いがした。
 

2012年5月24日 (木)

長友佑都「日本男児」読破

 昨日は移動の多い一日だったので、息子から借りていた長友佑都選手の「日本男児」を車中で読破。口述筆記だとは思うが、どうも私は根が単純なのか、長谷部選手の本同様、自分の年を忘れて結構熱く読んだ。おかげで昨夜のアゼルバイジャン戦は、かなり真面目にテレビに見入った。
 前回のワールドカップ以降、A代表の国際性はより顕著になった。J リーグが始まった当初とは、明らかに何かが変わったような感じがしてしまうのは、私の錯覚だろうか。高卒でいきなりイギリスへ渡った宮市選手を見ていると、明らかにプロ野球選手とは感覚的な違いがあるのだろう。6月からはワールドカップ最終予選。決して楽な道ではないとは思うが、この若者達がもう一度ワールドカップのピッチに立って欲しいとつくづく思う。

2012年5月22日 (火)

朝日新聞と産経新聞を読んでいた父

 大正2年生まれの亡父は、産経新聞と朝日新聞を取り見比べていた。ようするに新聞各社の論調は全く異なるので、あまり新聞の記事を鵜呑みにするなく、異なる意見を自分なりに比較していたのだろう。私もあまりテレビニュースは見ないし、民放のコメンテーターやニュースキャスター称する人種は嫌いだ。
 つくづく思うのだけれど、大マスコミの意見と言うのは、一般国民の大多数の「小さき声」を拾い上げるものなのか、それとも新聞社が共感する極度に増幅された「声大き少数意見」なのかが分からない。本来は前者がマスコミの使命だと思うのだけれど、近頃はどうも怪しい。
 概ねマスコミ各社は、橋本市長や石原都知事はお嫌いなようで、独善的や独裁的というキーワードで非難しているのだけれど、たかが2人の生身の人間より、世論を好きに操りかねないこの国のマスコミという得体の知れないものの方が私には遥かに恐ろしい気がする。

2012年5月18日 (金)

尖閣基金七億円突破とか。

 尖閣諸島の買い取りの為の寄付が六億円を越えたと産経新聞の朝刊で報道されていた。不思議な事にあまり、朝日新聞は問題外としても、他の新聞社からの報道は聞かないし、テレビの報道でも聞かない。戦後、一般の国民が初めて国土のために「意思」をもって、巨大独裁国家中国に対して、ささやかな行動をした出来事なのに黙殺扱いかと不思議でならない。
 いつもながら、新聞社(記者のみなさん)は、己の意見のみが絶対正しく、それを理解できない国民(読者)を導いてやらねばならないと思い上がっているような気がする。

2012年5月12日 (土)

田中蕃氏著「森の蝶ゼフィルス」

 もう二十年以上前に買った本だが、何故か時々読んでみる本が故田中蕃氏の「森の蝶ゼフィルス」だ。田中氏とは面識は無いが、関西ではかなり著名なアマチュア昆虫研究家として知られた方だ。私が中学1年の時、蝶の師匠の森崎譲先生に教えられて三草山に行った。当時は低地性のゼフィルスの著名な採集地で、その後は阿古谷ブランドのオオクワガタの産地として名を馳せる場所だ。その三草山を調査開拓されたのが田中氏と言うのをこの本で知った。この本はヒロオビミドリシジミの発生地の調査に没頭される田中氏の姿が生き生きと描かれている。私が生まれて数年後、昭和30年台初頭の能勢の地の自然溢れた光景も何度も読み返したくなるところだ。私は三草山には一度しか行った事がなく、シーズンも外れていた上に、実に幼稚な昆虫少年でゼフィルスの類は全く手にすることは出来なかった。それでも、盛夏の三草山の青々として姿は今でも憶えている。能勢地方は交通便も格段によくなり、ベッドタウン化の並みが甚だしい。中国道から見る北摂の山々は痛々しいまで宅地化されている。それも時代の流れ、しかたないのかもしれないとも思う。でも私を楽しませてくれた能勢地方の激変を見るのは辛く、もう40年ちかく訪ねたことはない。今は三草山もゼフィルス類保護のために採集禁止になっているそうだ。

2012年5月10日 (木)

つくばの夕立

 つくば市の竜巻のニュースで流れる画像を見ているだけで、身体が硬直するような気になる。今から20年も前、私も2年弱つくば市に住んだことがある。職場が北の外れだったので、二階の居室から外を眺めると、開放的な平たい台地が広がっているのが良く分かった。そんなつくばでの思い出は、夕立の激しさだった。黒い雲が異様に低く下がってきて、まるで空から黒い吊り天井が地面に降りてくるような光景だった。その黒い吊り天井からリボン状の稲光が地面にむかう様は、関西ではなかなかお目にかかれないものだ。広い平地で、上昇気流がおき易く、積乱雲が発達しやすかったのだろう。
 この竜巻で亡くなった中学生はもちろん、巻き込まれた方は、恐ろしい思いをされたと思う。家屋の潰れ方は尋常ではなかった。今日のニュースでは、巻き込まれた(?)犬が無事飼い主に元に戻ったと言う。僅かな明るさとは言え、こんなニュースでもなければ、やりきれない。

2012年5月 9日 (水)

クロアゲハがいない。

 連休明けくらいから気温が高めの日が続いたので、色々な蝶が羽化しはじめた。キマダラヒカゲのせからしげな飛び方も一年ぶりで懐かしい。中学の頃はネットに簡単に納めていたように思うのだけれど、今は飛翔を追うのもやっとになった。ネットがあっても納めるのは無理かも知れない。
 ところで、ここ数日黒色系アゲハは4度ほど見かけたのだけれど、全部、ナガサキアゲハの♂だった。ここ数年、ほんとにクロアゲハを見かけない。もともと黒色系のアゲハは、そう頻繁に見かけるものではないが、段々とナガサキアゲハに取って変わられるとのだろうか。高校生の頃はナガサキアゲハは憧れの蝶で、京阪神で見ることはまず無かった。初めて見たのは1973年初めて行った奄美大島で、大島空港(当時は節田にあった)付近で大きな白い♀の姿だった。その姿に南国に来たと言う実感を持ったものだったけれど、この蝶は南大阪では普通種になって行くのかもしれない。

2012年5月 8日 (火)

ネットを振らなくなって三十年以上か。

 昔昆虫少年の私もネットを振らなくなって三十年以上になる。それでも蝶を見るのは好きで、新刊の図鑑や書籍があるとついつい買ってしまう。連休中気になっていた「フィールドガイド日本の蝶」が昨日到着。展翅標本でなく、生態写真での種の見分けかたを図示してあるのが楽しい。私が飽きることなく眺めた保育社の原色蝶類図鑑(横山図鑑)の頃と較べると、新しい分類も加わって新鮮だ。ただ、毎度ながら採集禁止種や採集禁止区域が増えて行く様で、今の蝶マニアの方は住み辛い時代ではあるようだ。
 採集圧と言われて、確かに限定した地域に住む昆虫類は採集圧も馬鹿にはできないとは思う。しかし、生息環境の変化と片付けられて減少していく昆虫の方が多いのは事実だと思う。能勢電沿線の新興住宅地やゴルフ場は、ほとんどの場合が嘗ての平地林か里山地区だったし間違いなく好採集地だった。多かれ少なかれどこの新興住宅地もそんなものだと思う。私が育った下町東成区だって、アオスジアゲハやヤマトシジミくらいは居たが、それも今では環境変化で絶滅した。そこに住んで、ゴルフを楽しみでは、採集禁止にして昆虫を守りましょうと言ってみても、どうも違和感が残る。エコにうるさい某民放だって、ゴルフには寛容だ。自然保護と人間生活の両立は、ほんとうに辛い接点があると理解する方が大事だと思う。本来は採集禁止の様な非常事態になるまえに、現地保全をするのがベストだろう。毎年問題になるギフチョウなんかは典型的な例だろう。オオウラギンヒョウモンも同様ではないだろうかと思うのだけれど。悪質なマニアの存在は否定しないが、本来は環境破壊が先行しているのではないのかと、少しだけ弁護してあげようか。
 先月末くらいから移入朱鷺の産卵の話題がニュースで流れる。私は朱鷺は日本人が滅ぼしてしまった種、中国から移入してまで繁殖を試みるのはどうかと思う。絶滅させてしまった事実を深く思いを残す意味でも、絶滅は絶滅で良いのではと思う。移入朱鷺が成功しても、絶滅させた免罪符にはなるとは思えないし、なんとなく欺瞞な感じもする。へそ曲がりの意見とは思うけれど。

2012年5月 7日 (月)

阿川弘之「大人の見識」を読んで。

 昨日、母の様子を見に行く電車の中で、阿川弘之氏の「大人の見識」を読み終えた。阿川氏の文章は確か中二の時の教科書にあったのだけれど、どう言うタイトルだったか憶えていない。大正7年生まれとあるので、父母と同世代の戦前戦中派となる。戦後、多くの文人や知識人は親共となるなかで、一環して反共でぶれなかった数少ない方文人だと言う。
 阿川氏の対極にあるのが大江健三郎氏ではと思う。文学的素養の無い私は高校の時に「性的人間」を読んで見たが、ちっとも理解できず、成人して読み直してみても全く分からなかった。氏がノーベル文学賞と取られたときも何故評価されるのかが分からなかった。まあ、私の素養はその程度である。もっとも大江氏の作品が理解出来ない以上に、氏の社会へのメッセージはもっと理解できない。少なくとも私は阿川氏の見識の方にシンパシーを感じることだけは間違いない。良い意味での頑固親父然たる見識だった。

2012年5月 3日 (木)

憲法記念日;時代も変われば変わるもの

 今日は憲法記念日。時代も変わるもので、自主憲法や憲法改正という言葉が新聞紙面やテレビで真面目に語られるようになった。一昔前は、マスコミの取り扱いは護憲=平和或は正義、改憲=右翼はたまた侵略戦争,邪悪と言う色分けで、改憲など議論も出来ない風潮だった。とは言え、護憲といっても九条限定で、憲法違反に思える私学助成金の議論は全くない。橋下市長や石原知事に対してマスコミ諸子はいろいろな批判が繰り返されるが、少なくとも憲法論議の呪縛を解いたのは評価して良いと思う。憲法のどの条文にも改正してはいけませんとは書いていない。後は国民が決めることで、マスコミが決めることではない。まあ、マスコミの思い上がりは今に始まったことではない。
 私が憲法を授業として習ったのは、市立東中学3年の社会で、山本昇先生という迫力満点の先生に習った。今思い出してみると、山本先生は政治と言う、ともすれば主義主張が出る分野を、実に中立の立場で社会科学の入門として授業されていた。強面のお顔と落ち着いた低音のゆったりしたお声は、未だに耳に残っている。1年の地理、2年の日本史世界史を習った羽山幸雄先生と共に、東中学の二人の社会の先生には感謝している。お二人とも実に見事な板書で、ノートを真面目に取ると、立派な参考書になると言ったイメージだった。
 

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